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スポーツとしてのギター          2003年9月25日 発行

 「ギターを弾くことはスポーツである」といったら、「えっ!」と思われるかもしれない。しかし、ギターはスポーツであると断言できる。

 始めた時から才能にはっきりした差が出る(始めなくても歌の上手い人は最初から上手い)“歌うこと”に比べ、サッカーボールを足で自由自在に操ったり、野球のように高速で投げられたボールを打ったり、氷の上を細い刃の上に乗って滑るスケートのように…、ギターに限らず、楽器を演奏するということは、かなりの練習を積まなければ(あるいは、かなりの練習を積んでも)自由に操るということはできない。

 ゴルフをする人たちの間で技術論を耳にすることがよくあるが、実際に技術として通用しているかというと、殆んど技術論で終わってしまっていることが多いようだ。技術というものは論ずるものではなくて身につけるものである。どうしたら身につくのだろうか?

 もちろん、練習することである。しかし、がむしゃらに練習しても、間違った方法だと悪い癖が染み付いてゆき、その期間が長ければ長いほど修正の効かないものになってゆく。より良い技術のための技術論があり、それに従って一つ一つの動きに意識を集中して練習を繰り返す。意識することは大変重要なことで、より良い動きの意識なくして上達はありえない。そして、無意識で意識できるようになった時、初めて技術と呼べるものになっている。

 自由自在に操れる技術を使ってゲーム(あるいは競技)をするのがスポーツであり、音楽を奏でるための(指の)運動をするのが演奏である。運動神経は楽器の演奏には必要不可欠であり、リズム感が良くなければスポーツ選手は務まらないだろう。スポーツ選手に歌の上手い人が多いことはよくある話である。

 ギターを教えていて感じるのだが、演奏が安定しない人は、指の動きでリズムを出そうとしていることが多い。楽譜どおりに弾いているつもりでも、実は自分が思い込んでいるリズムを弾いているだけで、それが実際はどんなリズムなのか知らないでいることもある。

 自分の身体に正しいリズムを刻み込み、そのリズムを指の動きに託す。あるいは、自分の中に響く歌を、指に託してギターの音として歌ってゆく。そのための指の練習が必要であり、ただやみくもに早く動かす練習をしても何の役にも立たない。重要なことは身体の中から湧き出る歌への反応であり、その結果出た音の確認である。自分が出している音が本当に自分の中に流れている音と同じものか、否か?

 それが聞き取れ、コントロールできるようになっているころは、相当技術が上達しているに違いない。一流のスポーツ選手のように…。


富士山が真正面に見える
ホテルのテラスで結婚式があった


   人前の誓い祝うや秋の富士

富士市の竹採公園にて

   竹取の翁も見しや彼岸花                                     箸棒