月刊『ジロリート』とは、コンサートフラメンコギター協会が発行する「ふぁるせぇた」に寄生する世界初の刊内寄生紙です。

興味のある方は、ぜひ「ふぁるせぇた」をご購読ください。
川西市民文化賞を受賞して          2003年10月25日 発行

 このたび、私の住む川西市から平成15年度の市民文化賞を頂くことになった。川西市に住んで今年で20年目、光栄の至りである。

 初めて市の仕事の依頼を請けたのは、1988年の文化会館での「たそがれコンサート」で、スペインで撮ったスライドを映写しながらの気軽なコンサートが好評で客入りも良く、4年連続で依頼を請けた。その翌年1992年はちょうどバルセロナ・オリンピックのスペインイヤーで、文化会館大ホールでのコンサート、フラメンコ舞踊も交えての大舞台であった。その後、1993年から年間講座の女性セミナーの最終講座の講演(トーク付コンサート:なんら変わらず)を1999年まで続けた。

 忘れられないのは、1998年に市の自慢の音楽ホールである「みつなかホール」でのリサイタルをしてもらったこと。550席が完売で売り切れとなり、当日券を目当てで来た人が入りきれず嬉しい悲鳴となった。そのほかにも市の関係で請けた仕事は数知れず、市の紹介で明石市や貝塚市の仕事もさせてもらった。

 なんの保証もない自由業のギタリストが、公的な仕事をさせてもらえるほど心強いことはない。思い返せば、「たそがれコンサート」を請けたとき、まだまだ食えないギタリストだった。しかしこの年、労音の協力を得てマヌエル・カーノ先生を招聘し、大阪・名古屋・東京・高山など7箇所でコンサートを実現、全国展開の自信をつけたことも事実である。

 カーノ先生がそれから1年数ヵ月後に亡くなるとは思いもよらなかったが、追悼公演をきっかけに群馬県での活動が始まり、私の演奏の仕事は活発になっていく。そんな活動の基になっていたのは、市から仕事を依頼されているという事実にもとづくおぼろげな自信だったのかもしれない。

 誰にでも好みがあるように、万人に受ける完全な芸術というものはなく、むしろそれを求めないことが芸術の商業主義との決別である。ひらめきの鋭い天才的な芸術家もいるが、私は努力型のほうが好きである。芸術が個人の内面の表出ならば、努力して積み重ね作り上げられた作品には、長い間楽しめる重厚な味がある。はやりすたりとは無縁の、何度聴いても飽きない、そんな曲を作り演奏したいものである。地道な活動を長年続けてこられたのも、『ふぁるせぇた』という会報を絆に応援して下さった皆さんのお蔭であり、心から感謝している。

 11月4日に川西市長から市民文化賞を受賞するにあたって、この活動を応援し続けて下さった『ふぁるせぇた』会員の皆様にご報告とお礼を申し上げます。

 丹波篠山の酒蔵でコンサート

                    酒蔵にステージ作る良夜かな

 音楽を聴かせて作った酒がある

                    弦の音を聴く酒ありや里の秋